やられた

板橋の基地外婆から遂に家の本電話にかかってきた。
役所で調べたとしたら家から10分と近いからその時点で急襲してきてるはず。
なので田舎の役所で転出先聞き出したか興信所かというところか。
電話も来所も迷惑だと繰り返すが とりあえず「近いうちに行くからねっ!」だと。

17の頃 半年ほどあの地獄館に押し込められた。
部屋を与えられずとも良いが 玄関先の通路が私のスペースだった。
ベッドは腐ったソファ 勉強机は足踏みミシン その間を二歩ばかり歩ける程度。
タンスがあったが私の衣類など入る余地もなく 何もなかった。

板橋の新築時にかぶり 田舎から身内の工務店が泊まりがけで工事に来ていた。
職人たちの通り道で私は毎日寝ているわけだ。数日してからシーツが掛けられた。
天井にカーテンレール掛けるくらい幾らも掛からないと思うがなぁ。

ある日起きてトイレに行くと生理になっていた。職人たちは既に隣の部屋で朝食中。
血だらけのパンツを再度履く気にはなれず「ちょっときて」と婆を呼んだ。
「なんなの!言いなさいよ!忙しいんだから!」「いいからちょっときて」と
お約束のやり取りをしつつも来てはくれなかった。
Tシャツの裾を引っ張って前を隠しながらノーパン先生で急いでトイレを出た。
男の人がいる前でなんて格好をと口汚く罵られ あちこちに言いふらされた。

夫婦で大交通事故のおかげで婆の連れ合いはカタチンバだった。
婆が仕事に行き爺は家に。悪い友達が出来ると困ると爺が学校の送迎を毎日。
一緒に帰ろうと誘ってくれる人もいたが おかげで友達がなかなか作れなかった。
学校から帰ると爺のセクハラが待っていた。毎日セックスの話だ。
ある日ノーカットのエロ写真を私に渡して「どう思う?」ときたもんだ。
それに対し何らかの反応をすれば こんなこと言ったあんなこと言ったとまた
人前で罵ることの繰り返し。

まぁ夫婦仲も悪く 当時50前後でいくらビッコとは言え性欲はあったのだろう。
事を起こされたわけではないが 私をいいおもちゃにして鬱憤晴らしてたのだろう。
これで私は代々木のアパートに移ることになったが どうやってあそこの家から
抜け出したのかもよく覚えていない。印象が強いこの2件の出来事を思い出した。
これに限らず 何かあっても誰も助けてくれなかった。誰一人。

今更あんなクズどもに生活を乱されるのは御免だ。
もう17歳ではない私はリベンジマッチで勝ちを取りに行くしかないだろう。