まろゆき言うところの

お金持ちな人の不必要な欲望の例
・高級車を何台も買いたい ・芸能人と交際したい ・南の島を買いたい
・チヤホヤされたい ・重要人物として扱われたい ・高級ブランドの装飾品が欲しい
・誰かを見返してやりたい ・誰かに勝ちたい

どうだろう。お金持ちな人の欲望というよりは単なる日常ではかなろうか。
さすがに南の島はどうかとは思うけど 彼にしては発想が貧困かなと。
むしろ貧乏人のムダな欲望と言った方がしっくりくるのは私だけか?

TBできないので そっくりある人の引用なのだけど
日本は基本的に仕事=人間です。だからまず初対面では職業を聞きますし、
あの人は何屋だ、という認識をします。
世間では、就労可能層の無職はつまはじきにされます。
何屋だかわからないということは、その人がどういう人間だか判断しにくいのです。

世間ではそういう不安材料を、良しとしません。
日本では個人より世間重視の社会なので世間がNOといえば存在はNOです。
「貴方のせいで皆が迷惑してる」とか「皆やっている。していないのは貴方だけだ」
とかいう言葉にプレッシャーを感じるのは日本人特有ではないでしょうか。だそうな。

こういう社会だからこそ他者をオミットするのが好まれるのだと思う。
「自分だけが知っている」とか「自分だけが選ばれしもの」とかさ。
千円払ってコストコの会員になって自慢するバカ。
少なくとも千円で優位性が買えるだけという単純明快なことを 支払った瞬間に
優位な概念にスイッチしてしまう。

ミクシもそうだよね。閉鎖的な優位。いわゆるマニアックな知識なんかもそうで
今の社会から組成したものではなく昔からあったわけだが 知識というのも金で
買えるし 何にしても金で買えないものはないやと堀江みたいなことは思う。
ただし金で買える(まぁタダで検索サイトでも同じだけど)知識と 本当に心底
根付いた知識というのは 話を聞いてると如実に現れたりなんかする。

文章だけではなく 対面での交際能力が加味されると一層優位性は増す。
文章だけで当人以外との関係能力が測れていると感じられる書き手はいる。
そういう人と巡り合えたという優位性に悦に入るのはこれまた私の閉鎖性。

元々口外するようなマトモな職業についてもいなかったし 端的に表象して
勝手にカテゴライズされて認識されるのも「やなこった」だし。
誰に認められる必要もなく 自分が好きなように生きている自信は満々だω

それでいいぢゃん。