ちょっち番外編

明日は燃えるゴミの日。山ほどゴミはある上になんでもどうでもいいものを取ってある。
手近な引出しの中やら捨てるものを探したり整理していたところ。。。
たぶんすごく子供の頃にも見た記憶はあるんだけど改めて見ると感慨深かった。

戦死の公報とか戦地からの手紙。
「きがは便郵」と右から書いてあるハガキw
おばあちゃん宛に息子(実質私にとっては叔父になる人)から
南方派遣シンガポール総司令部気付と差出人は叔父の頭文字と苗字のアルファベト。

とっても達筆できれいな字。旧漢字で読み取れないところはあるのだけれど
近隣の戦友が先に帰国して祖母に連絡を頼んだが葉書許可があったので書きますと。
軍医であったので帰国希望は出せたらしく「彼岸までには○(←読めないw)放」と
書いてあったり「私物品殆どなし医学書皆無さっぱりしてる」などとある。
そして同じく戦地に行った弟より「私の方が早いと思ふ」とか残った当時10歳前後であった
叔父に「進よ、もう少し頑張って下さい」と。色々な気遣い長男さんだね。
この叔父は復員後○静病院の外科医長となり開業。が祖母より早く逝去。

もう一通の封書には既に消印に英文が入っている。「RELEASED BY検閲」と。
日付は年度はないので不明だがもちろん敗戦後なのであろう。市ヶ谷からだ。

やはり別の叔父の公報。
「死亡告知書」挺進飛行第一戦隊 陸軍兵長 叔父の名前
右昭和20年5月7日 ルソン島バレテにおいて戦死せられましたからご通知申上げます。
これが昭和22年5月と 2年後の日付で静岡地方世話部長(たぶん当時の裁判所みたいなもん?)
から 母(おばあちゃんの名前)で届いている。

昭和20年て そんなに昔じゃないんだよね。。。
これは少なくとも私の死ぬまでは更に保存されていく書簡だと思う(笑

他に 既に50超えた従姉妹がおばあちゃんにあてた大学時代の手紙があった。
何度も手紙をもらって返事書けずにごめんなさいって。
おばあちゃんマメに孫に手紙書いていたのか〜。私は内孫だから手紙貰ってないよう(苦笑
ちょっと悔しいなぁ。今度この従姉妹に会ったときに思いきり羨ましがろうと思う^^;

ルーツ表なんかも出てきて親戚に「江成」という人がいたり もしかしてえなりかずき
何かあり?私が渡鬼にこだわるのは根が深かったのかも?(んなこたないw)
あと伊東の親戚はキリスト教で 亡くなった叔母のクリスチャンネームがマリア・ガブリエルと
いうのを知ったのもこんなときながら結構笑ってしまった。