使わない知識w

青空文庫』なるものの存在を教えてもらった。いや世の中とは便利になったものだ。
とは言え 以前にもWEB読書(とでも言うのか)を経験したときに本を読む行為に
勝ることはないなと思ったのは再び。でも困ったときは便利だねこういうの。
前にも思ったのは読書って『指が読む』んだなと。ページを手繰る楽しさか。

読みにくいながらボチボチと草枕を読みだしたのだが やはり日本人というべきか
縦書きの国語の本で育った身としては小説は縦書きで読みたい。
他の教科書なんかだと横書きの方が気のせいかもしれないけど理解力が上がるような
気もするのだけど 勉強するために読んでるわけじゃないしね>草枕

そこで確か横書きを縦書きに変換するソフトがあったっけなー。。。とか
MSの仕様で音読する男と女がPCの中に住んでいたっけなー。。。とか。
そいでそんなの使わないのw まぁ縦書きに変換しても意味ないし音読されたくもない。
しかしいつか目が見えなくなる日が来るなら大変嬉しいことではあろうけど。

それはさておき今回『青空文庫』の存在を知らなかったのに考えさせられた。
本至上とするとこういうものの存在をハナから求めてなかったのよね。
目の前の箱で探そうと頭にすら浮かばなかった。情報弱者じゃん私みたいな。
すべて物事に興味が薄れているのは否めないが まさに情弱っ!と思って。

もうひとつは人様にモノを教えて貰えるうちが花だよなと。
なんせウチの父親を見て育ってきてるから それがありがたいことだと解る。
父親は自分に知らないことはない自分以外の人間はすべてバカだと思ってた人。
幼少の頃から死ぬまでもチヤホヤされて自分の小さな脳みその中で勝手な理論を構築して
他人に威張っていた人だ。そして裏を見てきた私は誰もが父親に対して真剣に
話をしようとする人がいなくなっていたのを知っている。

そうだよね地に足もついていない論調と まったく矛盾する結果で終結すれば
そりゃ誰も相手にはしなくなる。知っていることすら教えてくれなくなる。
だって教えなくても素晴らしい父親は何でも知っているんでしょう?ってなもんで。
ややこしい人と話するより触らぬ神に祟りなしだものね他人様は。
私自身が祟られるような対人関係を構築しがちだけど(苦笑 治さないとなー

というよりも自省にシフトしようと。自分で言うのもアレだけどこれは長所だと思う。
それで自制できるかは別問題なんだけどさw

実るほど頭を垂れる稲穂かな だよね本当に。