王様の耳はロバの耳

まさに私の父親がそういう人であった。
子供の頃からそのロバ耳っぷりを見て 私はあぁはなるまいと思ってきた。
父親のように他人にコソコソと「本当は王様の耳はロバのみ(ry」と言われるのはイヤだと。
とは言え私自身も子供の頃からロバ耳を持っていた自覚は非常に強くあった。
しかし反面教師のおかげで他人に言われないようにという意識がまた非常に強かった。
子供の頃はそれがうまく対処できず誰からも嫌われた。

ある時期からウマクできるようになり友達が爆発的に増えた。嬉しくなった。
それから毎日が楽しくなった。協調性のない私でも気にいらないことはさて置き
なんとか他者と好意的にコミュニケーションなるものが取れるようになった。
それは。

自分を殺しても相手の快を思うこと。そして相手の快を自分の喜びとすること。
だってさ 自分のために他人様が笑ってくれるのは嬉しいじゃんって単純思考。
それからか10代後半から30台前半に掛けて 今にして思えば対人関係に恵まれ
嫌なことはそれ相応にありつつも シアワセな時間を送ってこれたと思う。
男女間の愛だけではなく 人間間での愛情をたくさんの人から受けたと思う。

父親に関しては猫に鈴をつけたのも私の係となったが ロバ耳を持つ王様という人種は
絶対に自分の耳を見ようとはしない。ロバ耳に見える他者が悪いと思うようだ。
それが私との絶対的な違いであろうな。

私はもし「あんたの耳はロバの耳だよ(ゲラゲラ」と言われたとしたら 貯金おろすか
借金して高須クリニックに行ってロバ耳の整形手術しようと思うよ。
そんな大金を掛けてまでしなくても ロバ耳が治せるのなら努力しようと思うよ。
それだけのことだ。

ロバ耳を持つ人が自分の耳を見てもロバ耳には見えないのだ。
私も自分の耳がロバみたいかどうかは自分ではわからない。
子供の頃から自分の耳はロバの形をしていなくてもしていると思ってきている。
本当にそうならば隠そうと治そうと思ってきている。
包み隠さずロバ耳を表象することが自分のためともカッコイイこととも思わない。

誰かに指摘されたら怒ることもしないし 一層治そうと思う。
それが一般的に正しいかは知らないが 私の中では正しいことだと思っている。
ここ数年か 本当に持っているかどうかも判らないがどうにもロバ耳くさい自分がいる。
朱に交わればなのかねぇ。。。偽善者と呼ばれるくらいが丁度イイかなと思ってみた。