差別ではないと自分では思うが

Z武さんに子供ができたというニュース。
てっきり彼は生殖機能がないと勝手に思い込んでたんで些か驚く。
その報道を見てたらタイムリーに流してた東京MXに彼が出ていたのを見る。

まったく彼について興味も何もな〜んにもないので知らなかったけれども
杉並の小学校の先生をやっているそうだ。作家かコメンテーターだと思ってた。
そこで例えば理科の授業で 実験をしようというとき物理的に出来ないので
実務は他の人がやるそうな。なんじゃそれと思った。

小学校の教師って事は 一人の教師で済むところにもう一人分人件費で税金が
掛かってるということかと。下世話っちゃ下世話だけど。
銭金じゃないけど(まぁ結局は銭金になるけど)効率悪いなーと。
まぁ効率とかそういった視点ではないから採用されたのだろうけども。
身体的問題からくる差別意識をなくそー!みたいなノリでお上が採用したのか
彼や周囲の人がプロ市民的な行動で教師になれるよう働いたのかは知らない。
ハイパー車椅子みたいなのに乗ってるのも見たことがあるが 車の免許すら
持っているらしい。身体差別ではなくイイのかホントに?とも思う。
考えるより何でも行動というポジティブなのが私以外の人には賞賛されるのか。

ソースは確認していないので真偽は定かではないが 彼は自分のことについて
「なんでもできる」と言い 現実的に「何かしてもらっている人たち」のことを
ないがしろにしているというような指摘を受けて 謝罪したとかなんだとかって
話も目にした。

ずいぶん前に身障者を世話している人から 当人たちからヘルプを求められない
限りは手助け無用だと聞いたことがある。それなりにできるのだと。
転んだりして助けるのは大きなお世話だと言われて意識を変えたことがある。
しかし何かの際に何かの手助けをすることはやぶさかではない。

彼についても同じことだろう。生まれつきということは無責任にお気の毒としか
言えないのが現実ではあるが 座ること以前にヒゲを剃ったり歯を磨いたり
食事もトイレもなんらかの介助がなければ何一つできない現実。
前述の身障者とは格段に違うのは事実だ。

小学生など幼い頃から彼のような人に触れて 差別意識をなくそうというのは
悪いことじゃないが 実際コドモが危険な目にあっても助けられなかったり
自身が交通事故でもしたらどうするのだろうと。
精神論だけじゃ立ち行かないという現実もコドモたちは覚えるのだろうか。