なんかイソガシだわ〜

久しぶりに昨日は都内に仕事に行ったり(あまりに太って別人と驚かれたヽ(`Д´)ノ)
珍しくデパ地下で食材を色々買って帰ったり(やっぱ外食と変わらんな〜金額的に)
何気に週末から体調悪いのと忙しいので 読書がなかなかハカいかない。

まぁ先日買ったスリーパーズを読んでるわけですが。。。
ん〜。。。映画がまぁ良かったもんだから本にハズレはないからこそ買ったけど
上巻やっと読了し思ったのは なんかこ〜つまんなくて捗らないな〜と。
描写に深みがないというか劇中の語り部たる作者に 同等の3人なんだけども
どれもこれもワンノヴゼム。それなりマイキーと作者は差別化ができてるがそれでも
名前で語られてもそれなり。誰がどーだか人間味がピンと来ない。残念至極。
翻訳が悪いのかもしれないな〜と一縷の望みを託し下巻に向かおう。

ちょっと惹かれた引用なんだけど
”この地域はクモの巣である。ひとたびそこに捕らわれた者はまず逃れることが出来ない。中には祖国に連れ帰られたり、家族共々ブロンクスに引っ越す子供たちもいるが、大多数の者は自分たちがここの暮らしから抜け出せないことを知っている・・・ウエストサイドの若者の哲学は現実的だが、およそ論理的とは言いがたい。そうでなければ次のような事実に必ず気付くはずだ。ぎゅう詰めの安アパートから彼らを追い立てる母親から、彼らが一日の大半を過ごす路上を行き来する大人まで、世の中の人間は誰もが彼らを邪魔者と思っていることに・・・彼らのすることはすべて違法行為となってしまう。野球をすれば誰かの土地に不法侵入することになり、ビー玉遊びや1セント硬貨投げをすれば歩行者の通行を妨げることになり、さらにはここでは喧嘩が暴行罪になる。そうした罪を何一つ犯さずに過ごそうとすれば、ただ何もせず無為に暮らすしかなくなる。そうした環境の中で子供たちは建物とそれを所有している者たちこそ自分たちの敵だと思うようになるのである。”

なんかさ どこぞと同じじゃないか?ω
特定の場所に限らず今の日本のどこでもそこでもあそこでも そこかしこでな。

このへんはアメリカの1960年前後の描写なんだけど やっぱこんなの読んじゃうと
あからさまに日本はアメリマンセーの道を歩んでるとしか思えなくはないか?
もうねモラルだ倫理だ儒教だ仏教だ親のしつけだ時代の違いだなんて言ってる場合じゃ
ないじゃんと思っちゃうのは それだけ婆になった証拠なんだろうけどさ。
こんなえ〜加減な私がぷーぷー思ってるような世の中じゃいけないだろと思うわけ。