人々は義務と権利が大好きね

散々話題になりながら 24日に初めて元のコラムをきちんと読んだ。
つっこは最初の数行でお腹いっぱいで拾い読み程度だったけど。
んでwikiに飛ばされたんだけど(まぁ飛んだんだけど)著書の紹介があって
「山姥」? あれれ何か記憶があるなぁと思いきや。

実家の茶の間で目の前に本棚がある。
その中にマヂで「山姥 坂東真砂子」の単行本がありました(いや〜大笑い)
持って帰って読んでみっかと ど真ん中を開いて2行読んで本棚に戻した(ぉぃ

昔は田舎の家では避妊手術なんかありえんかった。
避妊手術を希望した頃まだ生活力も社会力もなく聞いてもらえなかった。
第一獣医ったら家畜用で 今風な開業してるとこなど田舎にゃなかったω
生まれると「川にうっちゃってこい(捨ててこいの意)」でも私は捨てられなかった。

結局家人がやったけど 同じと言えば同じこと。これが当たり前だった。
最大限よい意味で取るとするなら 生き物(愛玩動物)に対する価値観を
生まれながらに捨てることによって親は教えようとしたのかもしれない。

ある友達いわく捨てるときは「こんちくしょー!」って言いながら投げろと。
それが猫や犬を捨てるときに人間に災いが及ばないようにする呪文なんだと。
それが本当かどうか知るすべはないが。

自分で飼うときに避妊は絶対条件だけども それはマイルールでしかない。
メス猫しか飼うつもりはないし増えても面倒みきれんもん。私の勝手な世界だ。
やれ命は尊いだとか 猫にも生きる権利はあり避妊手術など望んでいないとか。
いつ権利が発生しただか。飼い主には避妊の義務があるだとかって何それ。
そもそも犬でも猫でも人間という動物が動物を飼うことがエゴ以外の何物でも
ないだろうがと思う。各自勝手にさらせやヴォケーと思う。

悲しいかな私も情が深いのか 可哀想とは思うけどそれは感情論の粋を出ない。
放し飼いにして 容易に車に轢き殺される飼い方してる人もいるし。
それよりゃマシって程度かな。
うつみ宮土里や浅田美代子が小動物や赤ん坊を必要以上に「かーわーいーぃぃぃ」
と言ってるのと変わらない。自分のスタンスをよく見せようと表象しているだけじゃ
ないかと思うですよ。
そりゃこんな自分でもうっかり人前で「可愛い可哀想」言ってしまうときはあるけどさ。
やむをえん心の叫びってことでω

そもそも猫や犬には権利だ義務だを考えるような知能はない。